私は歌う方が心地良いんだってその時気付いたのかも


「全然好きじゃなかったんだけど4歳くらいからフラを習わされていて、確か7歳の時にアラモアナショッピングセンターで発表会があったわけ。もうファミリー総出で超盛り上がってたんだけど、当日チャント担当の子が休んでしまったの。で、先生に私にやらせてと頼んでみたら私が代わりにやることになったんだけど、チャントだから歌詞も何もないわけ。踊ってる時に何度か聞いたことがあっただけだから、ほとんどアドリブ!見に来てたファミリーからしてみたら、私以外の女の子はみんな踊ってるのに私はいないわけ。でも裏から何だか知っている声が歌ってるのが聞こえてくるっていう状態で。帰ってから超怒られたんだけど、私は踊って表現するより、歌う方が心地良いんだってその時気付いたのかもね。」

さて。大自然に囲まれた太陽とビーチのアイランドHawaiiからコンクリートジャングルへと流れ着いたChiyoTia。日本に音楽関係の知り合いなどいるはずもなく、普通なら歌で食べていこう、というのはほぼ無理な話なわけで、あきらめたりすると思うんだけど。
「とにかくまず、ライブをやってそうなお店へ行って、ミュージシャンをスカウトしようと思ったの。もうね、色んな所で声をかけて、それで集めた人たちと渋谷のスプーマってカフェでカバーバンドをやるようになった。その仲間が仲間を連れてきたりして、かなりのビッグバンドになってしばらくそれで活動してた。」

が、しばらくしたら、なんだかこのバンドで歌ってるのは私じゃなくてもいいんじゃないかって思うようになったとか。
「お客さんとつながる瞬間がなくなったのに気付いたっていうか。やりたいことやって楽しいはずなのに、、、。で解散しちゃった。ごめんなさい。もうできないですって。向こうからしてみたら超いい迷惑だよね。私に呼ばれて、ギャラもらうわけでもなく、やって!ってお願いしてやってもらって最終的に解散!」

もちろんそのカフェのオーナーにも「ごめんなさい。やめます!今までありがとう!」って言ったらしいんですけど、その数日後またオーナーに呼び出されるわけです。
「やめたいならやめればいいけど、もう一回原点にもどって、ハワイで育ってることを思い出して、自分しかできない音楽を作ってやってごらん。って言われた。良いギタリスト紹介するから。って。で、紹介されたのが今一緒にやってるギタリストの濱中祐司さん。」
この辺りが強運、って言うか、持ってる。って感じ。

「祐司さんは、すでにギタリストとして活躍してたんだけど、何かを感じてくれて一緒にやることになった。でも曲を作る人がいないから、とりあえず自分でやるしかないってなって。私は自分はミュージシャンではなくてボーカリストだと、声が楽器だと思ってた。でもやってくれるひとがいないならやるしかないでしょ。でもね、やってるうちに、メロディーと歌詞が一緒に出てくるようになったの。それをスタジオで祐司さんに聞かせてコードを付けてもらうんだけど、私はコードもわかんないから、“もっとゆるいかんじ!”とか“硬い感じ!”とか。祐司さんはそれを受け入れてくれたすごい人。」

バンドを始めた当時は会社も辞めて他に仕事はしていなかったChiyoTia。どうやって生活していたのか聞くと、色々なクリエーター関係の繋がりができたことで、映画で使う英語の挿入歌の仕事をもらったり、ゲームの音楽の仕事が入ってくるようになったそう二~三か月に1本入ればやっていけてたとか。おかげでアーティスト活動に集中できたそう。人の繋がりって大事よね。やっぱり。

ところで、ChiyoTiaは現在Chiyopon?という名義で、日本を代表するドラマーPONTAさんこと村上POTA秀一さんとも活動を共にしています。彼との出会いも不思議なご縁。