『サーファーは一般の人々に私たちが海でおそわった事を伝えなければいけない』


夏になると、近所から、ハワイアンなスティールギターの音楽が流れてきます♪

そうそう、参院選の比例区では、投票用紙に個人名を書けば、個人の得票数が多い人から当選していくそうです。なんか、投票用紙の書き方さえもうやむやで、誰も良くわかってない現状。比例区は党名を書くものだと思っていましたわ。そういうことは、高校とかでちゃんと教えればいいのに。誰も教えない。ぜったいわざとだわ。

昨日のブログでご紹介した、ティモシー・リアリー博士のことが書かれたコラムを全文ご紹介します。っていっても、こちらでも2年ほど前に一部ご紹介しているので、読まれた方も多いかもしれませんが、あまりにも素晴しい内容なので何度でも紹介したい。そして、私も何度でも読みたいのです。

平成8年発行の、サーフィンワールド20周年記念の別冊SURFING ON MY MINDに掲載されていた、スティーブ・ペズマンのコラムです。平成8年と言えば、わたしがちょうどサーフィンを始めたころなんですが、そんな超ド級初心者の私の心をなぜかつかんで離さなかったこのコラム。サーフィンの真髄をついているこのコラムをこのタイミングでぜひ読んでいただきたいと思います。

現在ペズマンさんはザ・サーファーズジャーナルの発行人ですが、わたしは今なぜかそのサーファーズジャーナル日本語版でお仕事させてもらっているという幸運と不思議。ありがたや。

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雑誌 SURFING ON MY MIND 平成8年1月15日発行
Title The Mirror by Steve Pezman (Page21)

90年代からサーフィンを見てきたものとして、私はサーフィンとはなにか、そしてサーファーになるとはどういうことかという感じをつかみ、理解しはじめたように思う。

サーフィンというのはとにかくひじょうに個人的な活動で、それは現代のようにひじょうに混んできた状況でも、サーファーは大海原でただひとり、自分の考えと行動の世界の中にいるからだ。そして中には荒っぽく騒がしく、攻撃的で競争心が激しい人もいるが、一方では静かで考え深い人もいる。ただ、それらは陸の上であれ、海の中であれ、人間として個性があらわれるようにサーフィンもおなじなのだ。

そんなわけで、サーファーそれぞれが持つ独特なスタイルには個性があり、チャカチャカしてたり気まぐれだったり、スムース、知的、本能的、筋肉質,デリケートなど、さまざまなサーファーを見ているとサーファーとは何かということがわかる。彼らのスタイルとは、パドルアウトして沖へ出て行った時から帰ってきたときという時間の区切りのなでとらえるものではなく、彼らの生き方そのものなのだ。

たとえば、ロペスがサーフボードをチューンし、食事や卓球を楽しみ、車から降りて自分のクイバーを選び、ワックスがけをして、12フィートの波を全く滑らかでスムースに滑った後、優雅にビーチから上がり、彼一人の世界に戻るというシチュエーションを考えても、それは彼の生きる姿のほんの一部にすぎないのである。

サーファーのスタイルとは、もっと広い意味での個人的なメッセージなのだ。ロペスが一つの生きる手本であるように、サーフィンというのは、ある個人が自分はこうでありたいと望む理想像に近づき、そうなっていくことにほかならない。ところが、彼の波の一本一本は人生観の象徴であり、はじまりや挫折、そして死を意味すると考えられる。つまり。素晴らしいのは、一回のライドで何回も生と死といった究極の人生を体験できることなのだ。波の一本一本から、人は海や自分自身について何か一つ教訓を得、そして学んでいく。一回一回、海がインストラクターというわけである。だからおろかにも逆らったものには自然の掟が厳しく立ちはだかる。結局、いかに自然に溶け込み、調和し、一体化できるかが、波をメイクするということにつながるわけだ。

長年の試行錯誤を通して、私たちと海の関係は荒々しい部分を削り落とされた。あるいは、極端な場合はその関係を終わらされてしまった。しかし、サーファーは海からとてもユニークな知恵を学んできた。それは漁師が海で骨折って働き、海からの収穫で生活するのに対し、サーファーは共に流れ、その懐で遊ぶということだ。言いかえれば、非生産的な哲学を学んだのである。

しかし、これはじつは地球生命全体の壮大な目的を背負うものとして選ばれたと考えることができ、人間社会におけるサーファーの役目はより高いランクをつけられるとも思えるのだ。

悪名高いLSD愛好者で、反キリスト教の哲学者であるティモシー・リアリー博士は、かつて、サーファーマガジンのインタビューで、サーファーとは人類全般の進む方向を探るため、皆よりも列の先頭へ出され、道なき道をあゆまされているのだと語ってくれたことがあった。彼の説明によると、「人間の最終目的は、純粋に美的存在に到達することである。すなわち、人類はこれまで主に自分を守って富を得るという、より低い次元で進歩してきたが、サーファーは本質的に一般社会が気づくよりもずっと早く高い次元に達した」というのである。

つまり、サーファーは「今、この時間」というサーフィンの奥義に向けて、純粋な目的のためだけに生きていることが高い次元にいることの証明だというのだ。サーファーは何も生産せず、空虚なダンスを踊っているだけかもしれないが、リアリーは、私たちサーファーは一般の人々に私たちが海でおそわった事を伝えなければいけないというのである。

親の世代からみれば、私たちサーファーは怠け者でドロップアウトした、「いまどきの若いモン」でしかないが、リアリーの見方は人間文明の救済者という可能性をサーファーに示してくれたわけで、じつに皮肉なものだといえる。しかしこの説に出会ったことで、波に乗るという単純な行動が今までの人生経験の中でどうしてもベストワンになるのはなぜか、という密かな疑問が解明されたようなきがする。

だから54歳という歳になってもいまだサーフィンだけはやめられないのである。
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サーファーは人間文明の救済者・・・(゚∀゚)━!!奥が深すぎて、感想を書くのもはばかられる内容だったので、今まで感想を書いたことはないんですが、私の思う所をちょっと書いてみますと、そう、ひとことで言えば、わたしたちが生まれてきた究極の目的とは、まちがいなくただただ楽しい人生送ることで、本当は戦争や貧困や憎しみや悲しみを経験するために生まれてきたんじゃないと思うわけです。でも、純粋に楽しい人生を送るという究極の目的に達するために、わざわざネガティブな感情を経験している。なぜなら、ネガティブがなければ、ポジティブオンリーな人生がどれほど素晴しいかがわからないからで、そのために、人は「自ら」様々な試練を課しているだけだったりする。ただ、だいたいの人間は、その試練の責任を自分ではなく他に転嫁しがちですけどね。

で、サーフィンっていうのは、そのただ純粋に楽しい人生っていうのを、いとも簡単に経験させてくれる素晴しいツール。太陽がふりそそぐ青い海で波に乗る。波に乗るのは強烈なまでに最高の瞬間。夕日が沈んで空が信じられない色に移り変わるのをながめながら、友達と楽しすぎるひと時を過ごして、こんどはお腹がすきすぎてご飯を食べる。このご飯がこれまた信じがたいほどおいしい。サーフィン後のごはんよりおいしいごはんはない。4時間も5時間もパドルした後の体は、ありえないくらい疲れているのに、その疲れさえ心地よく、ビール飲んで、今日乗った良い波のことを皆で語り合って、次の日の波のためにとっとと深い眠りへと落ちる。で、次の日また同じことを繰り返す。これだけ!

これを何度も繰り返している間に、サーファーは次第に、これこそが人生だってことに気づきはじめちゃうわけです。で、それを知らない人に伝えるのが私たちの役目だってことです。ただただ気持ち良い毎日を繰り返すのもサーファーとして最高の人生ではありますが、この気持ちよさを伝えなければいけない。だれでも気持ち良い人生を送る権利があるっていうことを。そして、この気持ち良い人生を送るには、海はきれいでなきゃならないし、世の中のネガティブなことを考えているヒマなんてないから、そういうこともなくさなきゃならないわけ。だから、わたしは、サーファーとしてできることは何かっていうのを探してるわけ。誰か教えてー(笑)