誰かの顔色をうかがいながら生きるのなんてとっととやめたほうがいい

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今日は波小さいので休憩!また上がりそうだしなー。ところで梅雨入りってしたの?たまにあるよね。波ある梅雨。今年はそんな感じだといいんだけど!

こないだ、自分をさらけ出さない人は、表面では笑ってても内側では笑ってなくて、それがわかるから疲れる。ってなこと書いたんですが、いろいろ分析した結果、けっきょく自分の前にあらわれて感情を揺さぶる人っていうのは自分の内側の鏡でしかなくて、そういう部分を持ってる自分を見せられてんだという結論に達しましたわ。

わたしはいつのときからか、感情を表に出すとロクなことがないということを学んだらしく、とにかく本心は表現しないのが得策だという信念をもってしまったようです。中学生くらいのとき犬を飼ったんですが、その犬がかわいくてしかたなくて、ものすごい勢いでかわいがってたら、母に「あんたにそんな豊かな感情があったとは知らなかったわ」と言われたことを今でも鮮明に覚えるんですが、いま考えれば、「アンタ達(親)がそんなあたしにしたんじゃん!」って感じで、完全に人のせいにしたいモードではありますがw まあ、だから、そういう人をみると、いつも人の顔色を伺って怯えた自分を見てるようで、イラっとするわけですわ。

人間って、ほぼだれもが、ずーっと人の顔色を伺いつづけて生きてる気がします。だいたいだいたいロクなこと思ってないから、ホントに思ってることは表現しません。表現すると嫌われると思ってるから。少なくともわたしはそうだと思う。で、嫌われたくない、怒らせたくない一心で、人の顔色伺いながら生きつづけて何になんだよ。なんてことを最近テーマに考えてたら、たまたま見たビデオでまさにその答えを得ることができて、みなさんも、きっと、ゲゲゲw と思うところがあると思うので、今日はその内容をシェアしたいと思います。

Facebookでたまたまみつけた、コロラド在住の不思議な外人、ライアンのビデオです。日々さまざまなことをテーマに、彼が感じたことをビデオにして発信。ほぼ毎回彼の弾き語りで締めくくられるんですが、弾き語りは上手いような、普通なような。笑。 長いので全部じゃないんだけど、大事な部分だけ翻訳してみました。

英語わかる人はぜひビデオを。
https://www.facebook.com/RyanSwain/videos/10153476827326349/?pnref=story

この人w

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「HOW TO NOT BE CONTROLLED BY THE EMOTIONS OF OTHERS 」
「他人の感情に左右されない方法」(←まさにこないだ書いたブログへの答え的なテーマでしょ。こんなふうに、いつもだいたい質問すればいろんな方法で答えが返ってくる。)

究極の優しさとは、自分が何を感じているか、考えているかを相手にはっきり伝えることだ。自分の行動を他人にコントロールされる必要は全くないし、なにをやっても自由。たとえば、“これをしなければ相手の機嫌がわるくなるかもしれない”とか“あの人を怒らせないように”なんて動機で何かをしているなら、それは共依存と言われる関係でしかない。本来、自分のハートに従うなら何をしても自由なんだ。もちろん、すべてのことを、「相手の機嫌を損ねないこと」を基準に行うことも自由だけど。でも、それは自分以外の人をハッピーにするための人生になっちゃう。

ぼくはじっさい30歳になるまでずっとそんな生き方をしてきた。周りを怒らせないように。周りの人を幸せにするために生きてたんだけど、ようやく気付いたんだ。全員を幸せにするなんて無理だと。ある時ぼくは、周囲の人にとってより良い人間になれるにはどうすればいいのかを知るために、友人や会社の人20人くらいに、ぼくが改善すべき点はどこかっていうアンケートを取ったことがあるんだ。自分を変えるために、最高の人間になるために人の意見を取りいれようと思ったわけだ。

ところが、返ってきた答えはあまりにもバラバラだった。ある人はぼくが常に人と対立していると言うし、別の人は、ぼくが人との衝突を避けすぎだと言った。みんなの意見がちがうのでぼくは混乱したと同時に、全員を幸せにするなんて無理だって気づいた。

幸せや優しさの定義は人によってちがうし、その定義は家族や宗教や信念によっても変わる。だから人が自分のことをどう思ってるかなんて、ぼくの人生にとってまったく参考にならないことに気づいた。そこでぼくは本当に参考になるあらゆるものを探した。教会へ行ったけど、教会はそれぞれの宗派で言ってることがちがう。聖書も読んだけど、聖書で言ってることは誰の定義なんだ?と思った。

そこで、最終的にたどりついたのは、自分に聞くことだった。何をするかを決めるのは自分であるべきだし、その自分基準に従って起こした行動で、相手が不愉快な思いをしたとしても、それは相手の問題でしかない。

時に、自分が必要とするなら他人の意見やアドバイスも役に立つことはある。しかし、求めてもいないのに「お前はああすべきだ、こうすべきだ」と言ってくる人っていうのは、たいてい彼ら自身も自分の内側を見つめたことなんてない。かれらは自分の感情や問題と向き合っているわけではなくて、あなたを変えようとすることで、彼らが抱えている問題をなだめようとしているだけなんだ。

だれかを怒らせちゃったらどうしたらいいの?謝るべき?ってよく聞かれるんだけど、はっきり言って、謝る必要はいっさいない。謝る気がないならね。本心からすまないと思っていないのに謝ったって何の意味もない。そういうシチュエーションに出会ったら、いつも言っているように、まずは自分が何を感じているかに気づくことだ。怒っているならその怒りとプレッシャーを体で感じる。ひとりになる時間をもつ。呼吸をする。すると別の真理が見えてくる。

自分を愛するっていうのは、ほかの誰のものでもなく、自分の選択と自分の感情をリスペクトすることなんだ。そうすることで、本当の自分を取り戻すことができる。人を愛する前に自分を愛する。自分がクリアになって、本来の力を取り戻したときに、まわりを見渡して助けたい人がいるなら助ける。それは本当に誰かを助けることになる。

ぼくの人生はこうして自分にパワーを取り戻したことでホントに楽になった。感情がクリアになればなるほど、クリアになっていない部分を外界に映し出す必要がないから、何が起きても人のせいにする必要もなくなった。

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っつーハナシ!
ちょー今のわたしのテーマだわ。ほんとにさ、「気を使う」とか、そんな日本語なくなればいいのに。とさえ思う今日この頃。わたしの「気」はわたしがわたしのために使うためにあんだな~。使いたいたくもないのに、だれかの機嫌を取るために使いまくって、ほんとに気を使いたいときになくなってたらもったいないわ。


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ABOUTこの記事をかいた人

エリツィン編集長

Beach Press編集長・水着屋・何でも屋。 20代のほとんどをヨーロッパとハワイで遊び呆け、ハワイではサーフィンに出会い人生激変。日本帰国後会社勤めを試みるも挫 折。現在は海の近くでハワイからステキなビキニや日焼け止めを輸入したり、サーフィンしたり、旅したり、サーフィン したり、旅したり、ほとんどサーフィン先日、幸せな人生のためには週20時間以上働いてはいけないとどこかで読んだので実践中。。冬は働いてません。楽しいことしてれば人生なんとかなる。念ずれば花開くは小学校からの座右の銘。笑う門には福来たる、真面目禁止、一日一爆笑が日課。ではあるが、やさぐれてる日があってもいいと42歳になって気づいた。